平成4年(1992)
10月9日 ヤクルトスワローズ、2度目のセ・リーグ優勝
野村監督率いるヤクルトが、阪神と最後まで混戦となりましたが、岡林・古田選手のバッテリーに、MVPを獲得したハウエルをはじめ、高津・池山・飯田・広沢選手などの活躍によって14年ぶりの優勝を果たしました 。神宮球場を本拠地として30年、2度目の優勝でした。
10月17日 神宮球場で初の日本シリーズ (17.18.25.26日 対西武4勝3敗で西武優勝)
第1戦は、延長12回裏に杉浦選手の日本シリーズ史上初となる代打サヨナラ満塁本塁打でヤクルトが劇的勝利をおさめましたが、第2戦は、荒木投手が6回表に清原選手に本塁打を打たれ、対戦成績を1勝1敗としました。舞台を西武球場に移した第3・4戦は石井一・岡林投手で連敗するも第5戦は、延長10回池山選手の決勝本塁打で西武の日本一を阻止し、神宮に戻りました。第6戦は、またも延長10回、秦選手のサヨナラ本塁打で3勝3敗としましたが、第7戦、延長10回ついに西武に勝ち越され、西武の優勝が決まりました。
全7試合中4試合が延長戦という歴史に残る名シリーズは、幕を閉じました。第7戦で先発した岡林投手は、シリーズ3試合に完投、合計430球の熱投でした。
平成5年(1993)
10月26日 日本シリーズ (27.28日 対西武 4勝3敗でヤクルトスワローズ優勝)
11月1日、昨年の屈辱を見事に晴らして、ヤクルトが昭和53年以来の15年ぶり2度目の日本一に輝きました。野村監督が、選手時代から監督時代まで日本シリーズ20連勝だった西武・森監督を破り宙に舞いました。MVPは、川崎投手が選ばれました。
平成7年(1995)
2月25日 スコアボード改修
本体は、縦14m、横29m 高輝度放電管を使用、中央のカラービジョンは縦6.34m 横12.04m、多色型高輝度放電管を使用し、見やすさと表示機能の充実を実現しました。イニング数を9回から10回にし、DH制に対応するため選手名ボードも9枠から10枠に増やしました。また、球場内に3台のカメラを常設して、リプレーやスタンド風景を動画表示しました。3月28日にはスコアボード両側に広告塔2基を新設しました。
9月30日 ヤクルトスワローズ、4度目のセ・リーグ優勝
10月24日 日本シリーズ(25.26日 対オリックス 4勝1敗でヤクルトスワローズ優勝)
5戦目の26日、ヤクルトは本拠地ファンの前でオリックスを4勝1敗で破り、2年ぶり3度目の日本一に輝きました。オリックスのイチロー選手が登場するとあって、神宮球場はファンの声援で湧きかえりました。なお、初めて外野を含む全席指定を採用しました。
11月14日 東京六大学野球連盟結成70周年記念試合 現役学生選抜 5-10 プロ野球OB選抜
六大学野球史上初めての交流試合でした。試合前の練習では、巨人・長嶋茂雄監督(立大OB)、中日・星野仙一監督(明大OB)らが後輩を指導し、試合でもOB選抜が勝ちました。
平成8年(1996)
11月9日 明治神宮外苑創建70年記念奉納野球試合 東京六大学選抜 4-1 東都大学選抜
昭和51年(1976年)の神宮球場竣功50年記念試合以来、20年ぶり通算4回目の記念試合は、東京六大学選抜の投打がかみ合い、井口選手(青学大)の神宮通算32号で東都大学選抜が一矢報いたものの東京六大学選抜が快勝しました。
11月14日 東都大学野球連盟結成65周年記念試合 東都大学選抜 2-1 プロOB選抜
平成9年(1997)
9月28日 ヤクルトスワローズ2年ぶり5度目のセ・リーグ優勝
平成13年(2001)
10月25日 日本シリーズ (25.26.27日 対近鉄 4勝1敗でヤクルトスワローズ5度目の日本一)
MVPを獲得した古田選手の活躍もあり、梨田監督率いるローズ・中村選手のいてまえ打線を封じ、4年ぶり5度目の日本一となりました。『ファンの皆さま日本一おめでとうございます』若松監督のお約束名言で神宮球場は大きな笑い声に包まれました。