昭和55年(1980)
3月15日 電光式スコアボード竣功
昭和33年に設置された旧スコアボードは老朽化が激しくなり、後楽園・横浜・西武に次いで4番目に電光式を採用しました。センター後方のメインスコアボード(29×18m)は、使用ランプ数約4万個で、バックネット裏のサブスコアボード(7×1.8m)は、使用ランプ数2,520個でした。
両チーム18名の打率・ホームラン数、各イニングのヒット数、試合経過時間を表示、ジャッジ判定は、エラー(E)、野選(Fc)の該当ポジションを表示できました。また、ストライク・ボール・アウト(SBO)を数字で表示し、6.6×8.6mの電光スクリーンに選手写真などの静止画や動画、他球場の途中経過などのメッセージを表示できるようになりました。
8月1日 第1回神宮外苑花火大会
明治神宮鎮座60年を記念として行われたのが最初でした。都心での花火大会は初めてで、バックネット裏と内野席に陣取った満員の観客は、バックスクリーン前から打ち上げられる約3,000発の花火と110mの仕掛け大花火・ナイヤガラなどを楽しみました。なお、昭和56年より神宮第2球場からの打ち上げとなり、夏の風物詩となっております。
昭和56年(1981)
3月 フェンス改修
フェンス広告(28面)を全面的に撤廃、緑一色のラバーフェンスとしました。広告は完成した電光式スコアボード、バックスクリーントライビジョンに集約しました。また、ファウルポールを、12mから16mにかさ上げ、塗色を白から黄色に変更しました。
昭和57年(1982)
3月17日 透水性人工芝敷設
西ドイツ製の透水性サラン人工芝で当時、ヨーロッパのサッカー場110ヶ所で使用されていましたが、野球場で使用されるのは世界で初めての試みでした。特徴は、透水性アスファルトコンクリートを使用し水はけを良くし、人工芝の下に網状アンダーマットを使用しているため、選手の足腰に対する衝撃を緩和できました。また、天然芝に近い球速・バウンドを実現したため、エンタイトルツーベースが少なくなりました。