昭和29年(1954)
3月31日 バックネット改造、報道席増設、グラウンド整備及びスタンド改修
昭和28年にNHK・日本テレビが本放送を開始し、神宮球場でも野球のテレビ放送実施に対応するため、報道記者席を拡張する必要がありました。このため、記者席前面に約1.5m幅の張り出しを設けてそこを新聞記者席とし、従来の記者席はテレビ・ラジオ放送席にしました。また、バックネットは左右に鉄柱2本を立てて金網張りにしました。
昭和30年(1955)
学生野球黄金時代の神宮球場
東京六大学・東都大学野球リーグ戦をはじめ、高校野球、社会人野球、さらに国際親善試合まで多くの試合が行われました。年間の試合回数は昭和27年367回、28年285回、29年315回、30年336回を数えました。
昭和33年(1958)
4月12日 スコアボード改装
30年近くを経過して老朽化も目立つようになり、表示内容の改善とともに全面的な改装を実施しました。左右29.25m、得点表示15回、イニングを中心に左右に両チームの選手名を文字で表示でき、イニングの上部には大時計、左側には審判名、右側にはカウント用ランプ(SBO)を配置しました。
昭和36年(1961)
12月25日 東映球団と神宮球場使用契約締結
昭和37年(1962)
4月7日 正面メインスタンド増改築
昭和39年に開催される東京オリンピックのデモンストレーション・ゲームとして野球が取り上げられ、神宮球場が指定球場となったため、その任にこたえる必要から増改築を行いました。ネット裏のメインスタンドを2階建ての屋根付きに改築、約2,000m²拡張、収容人員は従来の2倍近い3,750人に増加しました。また、貴賓席に代わるものとして24人収容のロイヤルボックスを設け、メインスタンド内部は5階建てとして事務所、食堂、喫茶店、会議室、休憩室などを設置しました。
4月7日 東映球団公式戦開幕試合(東映-大毎)
開幕3連戦の入場者は約12万人で、大入り袋が配られました。東映はこの年、神宮球場で32試合を行い、パ・リーグ優勝チームとなりました。
6月8日 夜間照明設備完成
1基につき、1.5キロワットヨウ素ランプ32個、1キロワット水銀ランプ52個、2キロワット白熱ランプ60個、計144個、6基合計で864個の電球を擁し、バッテリー間の明るさは、1,800ルクスそのほかは1,300ルクスでした。
6月10日 初のナイター 東映-大毎(ダブルヘッダー)
初のナイターは、雨で1日延びた6月10日、東映-大毎のダブルヘッダーでした。5回、約40,000人の観衆が見守る中、6基の照明塔が一斉に点灯され、神宮の杜が明るく浮かび上がりました。
10月16日 日本シリーズ 東映-阪神
甲子園球場で2連敗した東映は、10月16日の第3戦を神宮球場で迎えました。結果は、2-2の延長14回引分けでした。第4戦は、3-1でようやく東映が1勝をあげ、その後阪神に3連勝し、日本シリーズ初優勝を飾りました。
昭和38年(1963)
7月24日 神宮球場で初のプロ野球オールスターゲーム(セ8-5パ)
東京オリンピックの協賛試合として行われ、入場料純益がオリンピック資金財団に寄付されました。
昭和39年(1964)
4月1日 プロ野球国鉄スワローズ、神宮球場をフランチャイズとする
10月 東京オリンピック
10月11日、東京オリンピックのデモンストレーション・ゲームとして日米大学選抜チームの試合を開催しました。
軟式球場は、国立競技場のサブグラウンドとして選手の練習用に400メートルトラック、ハンマー投げ、円盤投げ、砲丸投げ、やり投げ、走り幅跳びのフィールドが造られました。
昭和40年(1965)
4月30日 ラッキーゾーンを固定
東京六大学野球連盟から危険防止柵設置の要望があり、これを機に学生野球の試合では撤去されていたラッキーゾーンの金網フェンスを固定するとともに、コンクリートフェンスにも30センチ前に金網フェンスを固定し、防御策を講じました。