明治神宮野球場の歩み

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昭和43年(1968) 11月1日 明治維新100年記念明治神宮野球大会
  高校の部・日体荏原
大学の部・首都連盟(東海大主体)が優勝
明治維新100年記念明治神宮野球大会 11月3日の明治神宮例祭(文化の日)を中心に行われました。全国より大学は各地区選抜の8チーム、高校は各地区の優秀校11チーム、社会人は全東京と全神奈川の選抜2チームが参加しました

昭和44年(1969) 4月28日 外野フェンスにプロ野球時のみ広告板設置
  球場創設44年目にして初めての広告 学生野球の試合時には取り外すため、フェンスと危険防止金網の間にパネルを差し込む方法がとられましたが、秋季リーグの開幕日より学生野球の試合時にも掲げられるようになりました

昭和45年(1970) 3月 外野金網フェンスをラバーフェンスに張替え

  11月6日 第1回明治神宮野球大会(明治神宮鎮座50年記念)
  43年に開催された、明治維新100年記念野球大会を恒例化するとともに、学生野球発展に寄与するため、明治神宮御祭神に対する奉納試合として毎年明治神宮例祭(11/3)を中心に実施されることになりました

昭和46年(1971) 12月 青果物(ミカン)集積場として神田市場に貸し出し
(平成2年1月まで)
  アーケードに、ずらりと並んだミカンの山は圧巻でした

昭和47年(1972) 7月8日 第1回日米大学野球世界選手権大会
 
始球式をなさる皇太子殿下
【始球式をなさる皇太子殿下】
開会式には皇太子(今上天皇)・同妃殿下が、ご臨席になり、殿下の始球により試合が開始されました。貴賓席からスタンド中央に並んだ日米代表選手に白球が投げられる新しい形の始球式は、なかなかの好評でした

昭和50年(1975) 3月 照明塔改良工事
  バックネット寄り2基の改良、6基すべてのランプ交換
ランプ数は864個から672個に減ったが、技術革新によりバッテリー間の
照度は1,800ルクスから2,400ルクスへと増しました

  11月8日 東京六大学野球連盟結成50周年記念試合
  現役・OB社会人混成の紅白戦とプロ野球在籍者による紅白戦が行われ
ました
プロOB紅白戦は、紅軍監督西本(近鉄)、白軍監督荒川(ヤクルト)でプレーボール
5-4で白軍サヨナラ勝ちに終わったが、50年の歴史を誇る東京六大学らしい豪華なメンバーでした

昭和51年(1976) 4月3日 ヤクルト球団のフランチャイズ初の開幕戦(ヤクルト-巨人)
 
横綱が投手・チャンピオンが捕手
【横綱が投手・チャンピオンが捕手】
当時、横綱・プロボクシングチャンピオン両輪島による始球式

  11月3日 明治神宮外苑創建・神宮球場竣功50年記念奉納野球試合
  東京六大学選抜 2 - 7 東都大学選抜
試合前の両選抜チーム集合写真
【試合前の両選抜チーム集合写真】
好天に恵まれた上、珍しい対戦とあって、18,000人のファンが集まりました。試合は、6回石毛(駒大)がリリーフの江川から2点本塁打するなど、東都選抜が快勝しました

  11月13日 明治神宮外苑創建・神宮球場竣功50年記念奉納野球試合(15日)
  東京六大学・東都大学出身プロ野球選手対抗戦

昭和53年(1978) 3月 外野スタンド改修(収容55,000人)
子供が遊び、カップルが寄り添う芝生席は神宮の風物詩でもありました
名物の芝生席を改装した外野席
【名物の芝生席を改装した外野席】
51年に一部コンクリート製の椅子に作り替えられていた外野芝生席を全面的にプラスチック製の椅子席(約8,000席)に改装

  10月4日 ヤクルトスワローズがセ・リーグ初優勝を飾る
  球団創設29年、神宮球場を使用して17年目の初優勝
続く、日本シリーズもヤクルトが制しましたが、
学生野球の規定日程との関係で神宮球場を
使用することができず、後楽園球場で行われました



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