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昭和29年(1954)
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3月31日
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バックネット改造、報道席増設工事竣功
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 【新設なったネット裏放送席】
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昭和33年(1958)
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4月12日
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スコアボード改装工事竣功
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 【装いも新たなスコアボード】
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昭和36年(1961)
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12月25日
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東映球団と神宮球場使用契約締結
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昭和39年に開催される東京オリンピックの競技施設の一部として駒沢球場が使用されることが決定し、駒沢球場を本拠地としていた東映球団より 建設中の第2球場を本拠地として使用できないか…との打診がありました
しかし、この会談では『第2球場はプロ野球にお貸しできない』と断りました。
その後、12月2日、神宮球場のスタンド増改築とナイター設備の完備をマスコミに発表。その席で、あくまでも学生野球優先であるが、プロ野球に貸し出すことも考えていることを明らかにしました
これに、本拠地を探していた東映球団が神宮球場の使用を申し入れました
協議の結果、学生野球優先・6月から9月までのナイター時期を使用・フランチャイズは認めない という条件で、プロ野球の使用を許可しました
(36年4月19日、神宮第2球場竣功)
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昭和37年(1962)
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3月
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折りたたみ式ラッキーゾーン設置(東映球団の要請により)
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 【両翼に設置されたラッキーゾーン】
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4月7日
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正面スタンド増改築竣功式
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ネット裏メインスタンドを2階建ての屋根付きに改造 約2,000m2拡張、 収容人員は従来の2倍近い3,750人に増加。
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 【完成した2階席】
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 【正面メインスタンド工事】
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4月7日
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東映球団公式戦開幕試合(東映−大毎)
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開幕3連戦の入場者は約12万人。大入り袋が配られました
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6月8日
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ナイター設備竣功
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1基につき、
1.5キロワットヨウ素ランプ32個 1キロワット水銀ランプ52個 2キロワット白熱ランプ60個 計144個、
6基合計で864個の電球を擁し
バッテリー間の明るさは、1,800ルクスそのほかは1,300ルクス
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6月10日
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初ナイター 東映−大毎(ダブルヘッダー)
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 【初ナイター東映−大毎】
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東映は神宮球場で32試合を行い、この年のパリーグ優勝チームとなりました
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10月16日
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日本シリーズ 東映−阪神
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甲子園で2連敗した東映は、10月16日の第3戦を神宮球場で迎えました
結果は、2−2の延長14回(シリーズ新)引き分けでした
第4戦は3−1でようやく東映が1勝を上げ、その後、後楽園・甲子園と阪神に3連勝
日本シリーズ初優勝を飾りました
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 【日本シリーズセレモニー】
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 【日本シリーズの看板】
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昭和38年(1963)
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7月24日
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神宮球場で初のプロ野球オールスターゲーム(セ 8 − 5 パ)
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東京オリンピックの協賛試合として行われ、入場料純益がオリンピック資金財団に寄付されました
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12月1日
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東京六大学野球出身者慈善プロ野球(2試合)
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歳末たすけあい運動の一環として行われ、純益は野球道具の購入に充てられ全国50のめぐまれない児童施設にプレゼントされました
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昭和39年(1964)
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4月1日
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プロ野球国鉄球団、神宮球場をフランチャイズとする
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10月11日
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オリンピック東京大会デモンストレーションゲーム
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全米学生選抜チーム 2 − 2 全日本学生選抜チーム
全米学生選抜チーム 3 − 0 全日本社会人選抜チーム
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昭和40年(1965)
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4月30日
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ラッキーゾーンを固定
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【危険防止のため取り付けた金網フェンス】
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昭和42年(1967)
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4月7日
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スタンド・グラウンド改築
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スタンド拡張 前後75cm幅(従来55cm)の座席とし、ダッグアウトからバックネット裏
中段以下に赤・青・黄のプラスチック製椅子の指定席を設置しました
バックネット裏スタンドを8.5m、1・3塁側スタンドをそれぞれ7m前方に拡張、外野
スタンド前を削り取りラッキーゾーンを廃止し、両翼100mを91mに中堅を従来
より2m長い120mとしました。扇形であったグラウンドは、いくぶん卵形になりました
グラウンドの土を入れ替え芝生も全面的に張り替えました
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